またまた東京へ。
こんどは文春のみなさんによる祝賀会である。
『寝ながら学べる構造主義』以来、文春とはけっこう長いお付き合いとなった。
文庫も出してもらったし、『文学界』に連載もしたし、『文藝春秋』にも何度か寄稿した。
今回の受賞作も文春新書で出していただいたものである。
お礼を言わねばならぬのは私の方なのであるが、先方がお祝いをしてくださるというので、ほいほいと東京へ行く。
学士会館にチェックインして、まず『週刊ポスト』の取材。
少子化問題についてコメントを求められる。
どうして私のような門外漢にそのような問題のコメントを求められるのか、いつも疑問である。
専門家の方々がすでに熟知されている以上のことを私が知るはずもない。
人口はマクロな尺度をとっていえば、環境の「キャリング・キャパシティ」にしたがって変動する。
13000万人が現在の日本の自然環境・社会環境にとって負荷が重すぎ、全員にじゅうぶんな資源を分配することができないということが実感されれば、人々は人口の増加を抑制しようとするであろう。
当然のことである。自然環境は食料をふくめてまだいくぶんか余裕がありそうだが、社会的資源の分配についてはすでに不満が鬱積している。資源の供給の急激な増加が見込めない限り、分配しなければならない頭数を減らす方向にシフトするのは生物学的にはごく自然なことである。
その限りでは、少子化は「問題」ではなく、問題に対する「解答」である。
少子化がこれほど急激に進行したのにはほかにも理由がある。
つねづね申し上げているように、1980年代から全般化した「個人の原子化」趨勢がそれである。
親族、地域社会、企業などの中間共同体への帰属を「自己決定・自己実現」の障害要素とみなし、スタンドアロンで生きることを「善」としたさまざまな言説(広告からフェミニズムまで)にあおられて、日本人は「原子化」への道を歩んだ。
個人の原子化は最初は「市場のビッグバン」をもたらした。
四人家族が消費単位だった場合、「家族解散」がもたらすのは消費単位の四倍増である。不動産に対する需要も、家財に対する需要も、サービスに対する需要も、急増する。
消費単位の個人化はそうやってバブル経済を下支えした。
けれども、非妥協的に自分らしい生き方をつらぬく原子化した個人のアキレス腱は「共同体を作れない」ことである。
「共同体を作る」というのは日常的実感としては単に「不愉快な隣人の存在に耐える」ことだからである。
何が悲しくてそのような苦役に耐えねばならぬのか。
配偶者も子供も、原子化した個人にとっては、「自己実現のみごとな成果」(彼または彼女の社会的能力の高さを誇示する記号)であり、そうでない場合は「自己実現の妨害」である。
原子化した個人は他人の「自己実現の成果の記号」であることを受け容れないので、自動的に親族は他のメンバーにとっての「自己実現の妨害者」になる。
というわけで家族は自由な消費活動を求めて解散し、相互に相手を「道具化」しようとするヘーゲル的な主人と奴隷の弁証法的抗争を展開し、最終的に「だったら家族なんか要らない」という合理的な結論に落ち着いたのである。
ひとりひとりが好き勝手な消費行動をとることで市場が拡大することを奨励したのは日本政府である。
自己決定・自己実現・自己責任、そして「自分探し」イデオロギーを宣布したのも日本政府である。
その犯意が日本政府の要路のひとびとにないことが問題なのである。
柳沢厚労相が「産む機械」発言でメディアからバッシングされたが、私はあの発言の中で問題なのは、むしろそれに続く「ひとりひとりにがんばってもらわねば」という部分だったと思う。
ここには少子化はすべて女性個人の決断の結果であり、この事態に日本政府はなんらの責任もないという認識がはしなくも露呈している。
繰り返し言うが、少子化趨勢は日本政府が80年代以来推進してきた国策の「成果」である。
いまさら政府が「少子化問題」などと困ってみせるのは茶番以外のなにものでもない。
少子化問題を論じるなら、まずこのような事態の招来に政府自身がどれほど積極的にコミットしてきたのか、その「失政」のチェックから始めるべきであろう。
彼らが少子化を「問題」だと考えるのは、行政のサイズを今のままに維持するには納税者の数が少なすぎるからである。
納税者の数が減るなら、それにあわせて行政機構をダウンサイジングするのが論理的なソリューションであるが、役人は原理的に「行政機構のダウンサイジング」という発想ができない。
「納税する国民が少なすぎる」のではなく「税金を使う人間が多すぎる」のであるが、そういう状況理解を役人はしないのである。
というような話をする。
私自身は(いつものことだが)わりと楽観的であり、少子化が進行すれば(明治時代の5000万人くらいまで減少すれば)、それはそれで日本社会は今より住みよくなるだろうと思っている。
少子化を食い止めようと思ったら、「人間は共同的にしか生きることができない(だから、不愉快な隣人の存在に耐えよう)」という当たり前の人類学的事実をもう一度国民的規模で再確認するしかないのであるが、それが実現するということは「日本人がみんな大人になる」ということであるから、これまた日本社会はたいへん住みよくなる。
つまり、どちらに転んでも、日本は住みよくなるので、「少子化問題」というのは存在しない、というのが私の暴論なのである。
そのようなものをメディアが掲載してよろしいのであろうか。
『ポスト』の取材が終わったので、文春に。
こんどは『週刊文春』の取材。またばしゃばしゃ写真を撮られる。
どうして、メディアはこんなにひとの顔写真を載せたがるのか。
そんなものを見たからといって、発言内容についての理解が深まるとはどうしても思えない。
むしろほとんどの場合「こんな間抜けな顔したやつなのか・・・」という思いを読者たちに抱かせることで、内容への信頼性は減殺されるはずである。
自社の報道する内容の信頼性を毀損することでメディアはどのような利益を得ているのか、そのあたりのことをいつもスルドク伺うのであるが、あいまいな笑いしか返ってこない。
もうこれからは「写真を撮るなら取材には応じない」ということにしようかしら。
それなら取材依頼は激減するというか、ひとつもなくなる。
ずいぶんせいせいすることであろう。
それから文春の担当者のみなさんと麹町の四川飯店へ。
嶋津さんはじめなじみのみなさんと久闊を叙す。
編集者たちとおしゃべりをすると話題はもちろん作家たちにまつわる「ここだけの話」の数々である。
ええええ~、そうなんですか。あの人、そういう人なんだ・・・
という愉快なバックステージ話に花が咲いたのであるが、もちろんそんなことはここに一言とて書くわけにはゆかぬのである。
当然、彼らはまた違う相手には「ここだけの話ですけど、ウチダってね・・・」と盛り上がるのであろう。
ああ、それを聞きたい。
河岸を変えてホテルニューオータニのバーでさらにおしゃべりが続く。
だんだん酔ってきたので、文学の話はもうやめてロックとVシネマの話に興じる。
新書担当のF越くんが『ミナミの帝王』のヘビー・ウオッチャーであることが知れて、ふたりで竹内力の演技と私生活についてするどく専門的な意見を交換する。
宴の中で、さまざまな機会に「次の仕事」についての言及があるが、どういうわけかそのようなトピックについては突然人語が理解できなくなるのが不思議である。
文藝春秋のみなさん、ごちそうさまでした!

コメント (6)
少子化問題の問題
またまた先生に大賛成のコメントになります。
世の中では少子化を「人口減少は問題だ!」と騒いでいますが、こういう発想しか出来ないことこそ「問題」です。
そもそも幕末時に三千万人だった日本の人口が、あれよあれよという間に倍増して、「こんな狭い国土で、こんなに多い人口を養うことは出来ない」とわめきだしたのが70年前の戦争の原因だったのでは無いでしょうか?
「我々が食べられないのだから、隣に人が住んでいない領土があれば、それをもらうのが当然の権利である」と言って、満州を侵略して行ったことを忘れているのでしょうか?
左翼の人々は、中国侵略について反省しているようなことを言っていますが、この人口圧力という原因を反省している様子がありません。
日本の領土が狭かったのだからしょうがなかった、と言い張る左翼の人にあったことがあります。
唯物史観から言えば、人口圧力というのは生産力説から見て、歴史の必然だ、とされるから、こういう発想が生まれるのだと思いました。
しかし「こんな狭い国土で、こんなに多くの人口は養えない、だから他国を侵略するのもやむを得ない」と思ったこと自体が間違っていたことがいまや明白になっています。
満州事変時に六千万人だった人口が今ではその二倍になっていますが、国土が狭すぎると考える人はいないのです。
この事実だけから言っても、あの戦争は間違っていた、といえるのに、未だにあの戦争は正しかったと言い張る人がいるのはどうしたことでしょうか?
ところが更に驚いたことには、今度は「人口減少は問題だ!」などと逆のことを言い始めています。
最近の日本人は、左翼も右翼も国を挙げて、少子化対策ということに懸命になっています。
こんな身勝手な、行き当たりばったりの国民は世界のどこかにいるでしょうか?
かつて六千万人の人口で、「多すぎる!」、と侵略戦争までした国民が、現在はその二倍になっていて、それでもまだ増加させる対策を考える、という異常を誰も指摘しないのか?と思っていました。
せめて左翼だけでも、「少子化歓迎!」と言ってほしいと思っていましたが、まったくその気配はありません。
このブログで初めて、そういう良識に出会えて、先生にはもっと頑張ってほしい、と心から思っています。
投稿者: 小林哲夫
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2007年09月12日 11:48
日時: 2007年09月12日 11:48
おじゃまします。
yinaba、元「ととろん」です。
A新聞で先生のお顔を拝見しました。
内田先生は、顔写真を載せたほうがいいと
思います。
♪・・・かっこいいから・・・♪
写真をちょっとだけ勉強した私ですが、
撮ってよく見ると、
性格が見事に写っているんです。
先生は、合格◎~
投稿者: yinaba
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2007年09月12日 20:27
日時: 2007年09月12日 20:27
30年以上も前のことですが、深沢七郎が「子供を2人も持つやつは悪いやつだと思う」という文を書いています。
「少なくなっては困る」と答える人もあるのである。そう答える人間は「悪い奴だ」と私はきめている。つまり人間がへると困るという考えの人は、人間を利用しなければ生きていることは出来ない者のことなのである。
『人間滅亡の唄』より
まさに至言であります。
投稿者: katsu
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2007年09月13日 00:18
日時: 2007年09月13日 00:18
内田先生、
いつも変なことばかり言っているお詫びではないですが、いくつかネットで見たお顔は「すっと抜けていて」(←枯れてある程度の悟りに到っているという意味です)私は好きです。
多くの人の面接をしてきましたが、最後は顔でした。造作のよくない顔でも、傲慢な顔でも、バカみたいな顔でも、最後は(いざというときに)信頼できるかどうかでした。先生は信頼できる顔の典型だと思います。人間ですから、完璧な人はいませんが、先生の顔ゆえに私は好感をいだいています。
それに、間違いなくハンサムの部類に入りますし、今後は堂々と少しにこやかな顔で撮ってもらえばいいと思います。(偶然ですが、数日前に私は私のブログで先生をハンサムと書きました。)
あっ、それと編集者へ。まぁ、社用族的に作家と飲み食いするのも確かに仕事のうちだから文句は言わないが、掲載するに当たり大した時間は取らない、何枚かの写真のうちから選択する場合は内田先生の意向も確かめるべきだと思うよ。昔はいちいち写真を持参しなければならなかったが、今はメールで送れるじゃない。お願いね。(君たちの先輩[多分]MWWより)
投稿者: Dr. Waterman
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2007年09月13日 01:47
日時: 2007年09月13日 01:47
人口は国力である
日本の少子化が問題だ!という世論は、人口は国力だ!という先入観で動いていると見ています。
これは毛沢東思想の名残だ、というのが私の見方です。
私は60年安保の時大学にいましたが、同級生の九割はデモに参加し、多くの人が革命運動をしていた世代です。
毛沢東思想にかぶれた人が多かった世代です。
その後50年が経って、同級生の多くは出世し、定年退職し、同窓会の時期となっています。
その同窓会で大企業の社長に出世した同級生に、「あの時の革命運動はどうしたのか?」と質問してみました。
すると彼は「君は何か誤解している。私は革命運動などしたことは無い」という答えでした。
「しかしマルクス主義を凄く礼賛していたと覚えているが・・・?」と重ねて聞くと「マルクス主義は今でも正しいと思っている。経団連等でいろいろの社長と飲むことがあるが、彼らの多くはマルクスは正しい、唯物史観は世の中の動きを見るときに大変役に立つ、と言っている。」ということでした。
つまり学生時代に革命運動もどきをした人は、社長になっても唯物史観は持ち続けている、転向していないことを誇りに思っている、ということでした。
こういう人達が、経済界、マスコミ、大学にうようよいるのですから、「人口は国力」という毛沢東思想が刷り込まれている可能性が高いのです。
なにしろ「中国は核戦争で何億を失っても、まだ何億かの人民が残る国だから、負けることは無い」という思想に感心して、中国びいきになっていた世代なのです。
ところがその中国が「一人っ子政策」を断行したことを評価する人がいないのはこれまた奇妙なことです。
この政策は民主主義的に行われたものではなく、権力によって強制されたものだから人気が無いのでしょう。
しかし人類史において、これほどの偉業は無い、と私には思えます。
人口の抑制は絶対に必要だった政策ですが、民主主義では絶対に出来ないことだったということも明らかです。
中国が健全な国として存続するためには、過度な民主主義は害がある、ということがこのことからも明らかだと思います。
中国に民主化を要求するのは、中国に混乱を起こさせたいアメリカの陰謀だということがわかる日本人がいません。
中国から遠いアメリカならば、中国の混乱を楽しんでいられますが、日本は違います。
一衣帯水の国に混乱が起これば、日本も大変な被害を受けることは目に見えています。
こういうことも解らないで、アメリカの考えに追従して、中国の民主化を叫んでいる日本人に一体知性というものがあるのでしょうか?
投稿者: 小林哲夫
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2007年09月13日 10:23
日時: 2007年09月13日 10:23
もう3年目なので、こちらでも旧聞ですが、今日9月12日のアメリカのテレビでは、ロシアの9月12日「種付けデー(baby-making day)」が話題です。(日本のネットでは探せませんでした。)笑えます。
http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=12819927
Russia baby-making day で検索すると、この他にもいろいろ出てきます。9か月後に見事生まれた子や、種付け(←人間の)コンテストで車を手に入れた夫婦やら、さまざま出てきますのでお楽しみください。
この日は仕事を有給で休み、家で子づくりに励むのです。あのレーニンの町ですよ。ヴァイアグラまでくれるかどうかはわかりません。
しかし、少子であろうが多子であろうが、子供は宝ですね、皆さん。小さい子供は何色でもかわいい。(日本じゃ黄色だけと思っているのかもしれませんが。)人口を人為でどうにかしようとか、社会経済が生殖に影響を与えるのはゆがんでいます。若者よ、大いに恋し、たくさん産め!
MWW
投稿者: Dr. Waterman
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2007年09月13日 12:15
日時: 2007年09月13日 12:15