卒論とボクシング観戦

2006-12-31 dimanche

煤払いも終わり、年賀状250枚にネコマンガを描いて無事投函し、年内最後の仕事である「卒論の添削」にかかる。
年内にメールで送るように言っておいたが、送ってきたのはゼミ生の半分ほど。
それでも8人分読み、それぞれにコメントをつけて返すと、朝始めた仕事が終わったのが午後4時。
読んだ限りの卒論はどれも力作である。
読んでいるうちに「ふっと」我を忘れてテクストの中に没入してしまう箇所がところどころにある。
こちらは誤記を探し、構成の破綻を指摘するという査定的なまなざしで読んでいるわけなのだが、それでも瞬間的に書き物「の中」に引き込まれるということが起こる。
おそらく書き手の「呼吸」と読んでいるこちらの「呼吸」が合ってしまうときに、そういうことが起きるのであろう。
読み手と書き手のリズムの波形が合う。
そのためには書く方が「リズムに乗って」書くことが必要である。
書いている人間が「乗っていない」文章に、読み手の呼吸が合うということはありえない。
だから、こう申し上げては学生諸君には申し訳ないのであるが、10月の中間報告のときにすでに書き上がっていた草稿の部分は(たいていそのまま「第一章」や「第二章」に使い回されている)読んでもあまり「乗って」こない。
その部分は、学生諸君が以後4ヶ月にわたって「いじりまわして」いるからだ。
そういう文章はもう触られすぎて、「つや」を失ってしまう。
読んでわくわくするのは、ごく最近卒論の「末期」に書いた部分である。
何日か卒論だけに没頭していて、数十時間ぶっ続けに卒論のことばかり考えていて、そのときにふっと思いついたことを一気に書いた文章には不思議な「生きのよさ」がある。
でも、そのような「生きのいい」文章を書くためには数ヶ月間の助走と、その間に自分の書いた文章が「生気を失ってゆく」といういささか切ない行程を経験しなければならないのである。
学生諸君のほとんどは「ライティング・ハイ」を卒論執筆時に生まれてはじめて経験する。
それを味わうだけでも卒論を書いたことの教育的意味は十分に尽くされていると私は思う。

30日の夜は本田秀伸さんの復帰第二戦が大阪ビジネスパークのIMPホールで行われる。
相手はタイのスーパーバンタム級チャンピオン、クマントーンチュワタナ。
ノンタイトル10回戦。
本田さんは光岡先生と出会ってから、意拳の京都分館の立ち上げに参加することになった。
その出会いがきっかけになって動きの質が変わった。
というより「動きの質を変える」ということに取り組み始めた。
世界ランカーで、タイトル・コンテンダーだったボクサーが、高校時代から習得してきた正統的なボクシングスタイルを変えるというのはふつうはありえないことである。
何がどう変わったのか。
復帰第一戦は見に行くことができなかったが、本田さんは復帰第一線を勝利で飾った。
守さんの話を聴いているうちに、本田さんの動きの変化を直接見たくなった。
寒風の吹くIMPホールに集まったのは、その守さんご夫妻とミドリアタマ山下さん、意拳京都分館の曽我紀文さん(うちの大学ではじめて光岡先生の講習会を開催したときに、光岡先生にスパーリングを挑んで、カウンターを食らって、鼻血を出したときに目が「キラリ」と光ったあの曽我さんはその後、光岡先生を追って韓氏意拳の道に進んだのである)と奥本さん、大分での講習会の世話人である白石さん、そして「いつもの」ウッキーという年末らしからぬ大所帯。
試合前の本田さんが座席まで挨拶に来る。
「がんばってくださいね」と月並みな応援の言葉を述べる。
「リニューアル本田」を見せてください。
セミファイナルまで5試合でKOが三つあった。
どのKOシーンもワンパンチである。
打たれたパンチの積算が忍耐の限度を超えて倒れるというのではなくて、まったく無傷のボクサーがみごとなステップワークで相手の攻撃をかわしているうちに、まるで吸い込まれるように一発がテンプルやチンに決まって、「へなっ」とリングに倒れる。
狙って入ったパンチではないように見える。
肩の力の抜けた軽い一撃が理想のコースをたどって、「すい」とあるポジションにたどりつくと、それが力んで打ったパンチよりもはるかに強烈な破壊力を持つ。
驚いたのは「猫パンチ」のKOシーンである。
「猫パンチ」というのは猫が肉球で叩くような、掌ではたくフックである。
あんなパンチでどうして人が倒れるんだろうと思うけれど、「猫パンチ」がテンプルに入ってきれいなダウンを取った場面があった。
隣の守さんに「どうして猫パンチでダウンしちゃうんでしょうね」と訊いてみる。
猫パンチはテンプルを「打ち抜く」のではなく、「ひっかいて」いる。それが頭部に微妙な波形の震動をもたらすと目が回ってしまうという説明をしていただく。
顎の先をかすっただけでダウンすることもあるそうである。
ボクシングは奥が深い。
いよいよ本田さんの登場。
相変わらずほっそりとしている。
独特の構え方だ。
フットワークを使わない。
左右の肩が上下する不思議に「ぬめり」のある動きをする。
時折右のジャブが蛇が獲物に飛びつくようなスピードで相手のグローブの間のわずかな隙間に吸い込まれてゆく。
相手のパンチはアウトボクシングではほとんど本田さんの身体に届かない。
ブレークするときにショートフックがかすめるだけである。
本田さんはときどき右のアッパーをボディに放つ。
これも不思議なアッパーカットで、動きに支点がなく、両足の裏が同時に「離陸」して斜め上に身体全体が飛んで行くような印象を与える。
いったい本田さんは何をする気なのか。
守さんも私も視線はリングに釘付けで息を詰めているので、ゴングが鳴る度に「ふう〜」と深呼吸をする。
そんなふうにまったく「熱いどづきあい」がないままに最終ラウンド。
判定はもちろん本田さん。
有効打のほとんどは本田さんが放っていて、相手はほとんど攻撃してこなかった(攻撃できなかった)のだから当然だけれど、相手が攻撃してきて打ち合いになったときに本田さんがどんな動きをするのかが見たかった(最終の2ラウンドくらいが少しだけ打ち合いになった)。
あとで控え室の本田さんご本人に訊いたら、「新しい動き」がなかなか出せなくて、意識していないとオーソドックスなボクシングスタイルにすぐ戻ってしまい、最後の2ラウンドでようやく身体が少しだけ自然に新しい動きが出始めたというご説明であった。
ポイントが悪くても、攻めてこない相手ではどうしようもない。
相手タイ人選手にしても、本田さんがどう動くか読めないので、攻める気きっかけがつかめなかったのだろう。
次戦に期待。
応援団一同で北新地に出て、いつもの店で「祝勝会」をかねて忘年会。
今年もあと残り6時間少しとなった。
みなさんにとって2007年がよい年でありますようにお祈り致します。

守伸二郎さんと
試合のあと右目上をバッティングで切った本田秀伸さんと
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