無音のお詫び

2006-12-12 mardi

長く日記の更新を怠っていたので、「先生、風邪ですか? ノロウイルス? え、もしかして鳥インフルエンザ?」というような流言飛語が巷間に流布しているようであるが、私は息災であるのでご心配はご無用である。
更新できなかったのはもちろん「あまりに忙しかった」からである。
実は日記はきちきち書いていたのである。
単に日記をブログにアップロードする時間がなかっただけである。
アップロードするに要する時間はまあ2分というところであるが、ここ数日、その2分を捻出することができなかった。
どうして日記を書く時間があるのに、アップする2分がないのか・・・とみなさんは当然ご不審に思われるであろう。
当然である。
だが、それは物書きの生理を知らないシロートの発想と言わねばならぬ。
物書きというのはぎりぎり最後の瞬間まで推敲をするものである。
私の場合は、日記はおもに朝、家の書斎で書く(私の場合は先賢の著書からの引用が多いので、調べ物の利便もあって、書斎がいちばん書きやすい)。
そのあとに下川先生のお稽古があるときも、三宅先生の治療があるときも、会議があるときも、授業があるときも、もう今腰を上げないと時間に間に合わないというぎりぎりまで私はキーボードを叩き続けている。
その結果、アップロードは次の休憩時間まで持ち越されることになる。
だから、「次の休憩時間」というものに幸運にも遭遇すれば、それらのテキストは無事にサイバースペースに戸籍を移すことができる。
しかし、私の場合、「次の休憩時間」というものに恵まれることがたいへんに少ない。
少なくとも大学にいる限り、私には「休憩時間」というものはない。
私の事務机の上には処理しなければならない膨大な書類が山をなしており、私が主に自宅書斎で雑文を草するのは、大学の執務室では倫理的にもその膨大な書類の処理を優先させなければならないからである。
しかるに書類の山は私に許されたわずかな休憩時間のすべてを投じてもいっかなその高度を減じる気配がないのである。
であるから、アップロードの時間は帰宅後に持ち越されることになる。
しかし、アップロードのためにPCを立ち上げた場合、とりあえずメールのチェックをまず行うというのは人性のしからしむるところである。
当然ここには半日で20通からのメールがたまっている。
無数のジャンクメールはすべてIT秘書がはじいてくれているので、この20通は私あてのものであり、その半分は「至急返信を要する」ものである。
当然、緊急を要する返信を記しますね。これは。
これに30分から1時間を要する。
メールの中には「締め切りがもう過ぎていますが、いったいどうなさるおつもりですか」というような修辞的反語疑問文での原稿督促がしばしば混入している。
この場合は、一も二もなくとりあえず「ひえー」などと叫びつつ、原稿をさくさく書いて送稿せねばならない。
原稿を書くとさすがにぐったり疲れて、もう酒でも飲まないとやっていられないという自堕落な気分になる。
一度自堕落な気分になった私を真人間に戻すことはたいへん困難である。
私はふだんほとんど自堕落な状態をみなさまにお示ししない人間であるからして、私が自堕落になったときの様子について想像されることは難しいと思うが、これはすごいよ。
まじめ一方な婦女子が一度身を持ち崩すと度し難い莫蓮女になるように、私のような勤勉一途の堅物が一度自堕落になると、その崩壊ぶりは自分でも「この姿だけは世間さまにお見せできない」としみじみ思うほどに取り返しのつかない醜態なのである。
醜態の細部についての記述は省くが、とにかく日記をアップロードするというような作業はその行為のうちにわずかに(ごくわずかであるが)含まれる「世の中を少しでもよいものにしたい」という私の向上心ゆえにきっぱりと忌避されることになる。
というようなことが何日か続き、その間に私は原稿をいくつか書き上げ、アメリカ文学会関西支部においてクリント・イーストウッド映画について語り、その足で新幹線に飛び乗って関東某所に赴き、そこで恒例の「業務提携会議」に臨むことになった。
ご案内のとおり、私は大学教師というカタギの商売をしている裏面では、いくつもの会社の創設にかかわり、インキュベーションによって巨富を築いてきた。
このことが広く世間に知られていないのは「巨富を築いてきた」という点が事実ではないからなのであるが(ああ、既視感のある表現)、インキュベーションというところまでは真実なのである。
今回も新たに投資を求める起業家を招いて、事業計画の詳細について説明を聴き、定款を吟味した上で、投資の可否を決定するために何人かのビジネスマンたちと箱根湯本の某所に集まることになった。
投資額が巨額であるだけに、初日はまず「ウェルカム・パーティ」が行われ、翌日も日のあるうちは社交的な会話が中心で、実質協議が始まったのは二日目の深夜からであった。こういうものは話が始まるまでが長くて、実際のビジネスはわずか数秒の「わかりました。お出ししましょう」「や、どうも」だけで終わるものである。
わずか数秒とはいえ、それまでにあまりに厳しい緊張を要求するビジネス会議であっただけに、参加の各企業のトップマネジメントのみなさまならびに私は三日目にそのまま社会復帰することもできぬくらいに疲弊し果て、翌日はほとんど虚脱状態で、三日目の深更に至って、中島みゆきの「ファイト!」と喬太郎の「寿司屋水滸伝」を聴いて、ようやく社会生活復帰のきっかけをつかんだのである。
やれやれ。
--------